結婚の話が出たとき、まだプロポーズもなかった頃、
夫の口からぽろっと出たのは——
「同居が前提だから」という一言でした。
え? 同居? しかも義母と?
心の中では大きなクエスチョンマークが浮かびましたが、
当時の私はもう30歳目前。
夫とは長い友人期間を経ていて、お互いの性格も十分知っているつもり。
大恋愛のドキドキはなかったけれど、
穏やかな人柄に安心感があったし、
「まぁ、何とかなるだろう」と思ってしまったのです。
「なぜ長男や次男じゃなくて、あなたが同居なの?」
夫の答えは拍子抜けするほどシンプルでした。
中学生の頃、大学進学を控えた兄たちが
「一人暮らしがしたい」と家を出ることになったとき、
夫は「じゃあ俺は家に残るよ」と何気なく言ったそうです。
その一言が、いつの間にか“家を継ぐ人”に決まってしまっていたのです。
敷地内別棟の夢は、庭のロータリーに消えた
私はせめて「敷地内別棟=敷地内同居」での同居を夢見ていました。
玄関も生活空間も別。
お互いの気配は感じても、干渉しすぎない距離感。
可能であれば玄関が母屋からは見えない設計で
家の出入りなどもわからないのが理想!
田舎なので、庭がとても広く
これなら同居でもまだ可能かも!!!
・・・でも、結婚が決まるかどうかのタイミングで、
義母が庭を大リフォーム。
数百万円かけて、車がぐるりと回れる立派なロータリーが出来上がり、
別棟を建てるスペースは跡形もなく消えました。
玄関も階段も共有——その選択が今の後悔に
築20年の鉄骨住宅を使った二世帯リノベの計画が始まりました。
外付け階段や玄関分離の案もあったけれど、
「そんな大げさなことしなくても大丈夫だよね」という空気に流され、
結局、玄関も階段も共有するプランに落ち着きました。
義母の、そんなに共有スペースが嫌なの?という目線も痛かった・・・。
今、その気配りを心の底から後悔しています。
玄関から聞こえる義母の声、階段下から子どもを呼びつける声。
友人が遊びに来たときに愚痴をこぼせば、
全部聞こえてしまいそうな緊張感。
ほんの一枚のドア、ひとつの鍵が、
こんなにも気持ちを守ってくれたのかもしれないと、何度も思います。
夫は義母の味方——募る孤独感
夫は基本的に義母の味方です。
マザコン気質が見られていたので、結婚前に約束したんです。
義母と私の意見が分かれた時、どちらの味方になるの?
両者正論で喧嘩になることもあると思う。
そんな時に私の味方になってくれなければ、同居はできない。
その約束を、あっという間に忘れてしまう夫。
三男で甘やかされて育ったせいか、義母に反対する姿をほとんど見たことがありません。
私が感じているストレスを相談しても、
「そういう言い方やめなよ」と逆にたしなめられることもあります。
義母への口はNGとなりました。
そんな日々を過ごすうちに、私はひそかに思うようになりました。
「子どもが巣立ったら、この家を出よう」
その時義母が生きていたら、夫と二人で暮らせばいい。
私は子供なしでは、この親子と過ごすのは無理。
私の野望——小さくても、自分の家
私の野望はとてもシンプルです。
玄関も、キッチンも、間取りも、
自分の好きなように決められる小さな家。
誰に気を遣うこともなく、深呼吸ができる家。
朝起きたときも、夜眠るときも、そこに流れるのは私と家族だけの空気。
その日を夢見て、今は毎日をやり過ごしています。
きっといつか、
「同居から始まった結婚生活も、悪くなかった」と思える日が来ると信じて。
そのために、夫には内緒で始めた、積立NISA。
独身時代の貯金はお互い自由に使おうと約束したので、
独身時代の貯金のほとんどを積立NISAに注ぎ込みました。(今は新NISA)
夫の稼ぎに左右されないで、自分の資産を育てていき
老後の自由を手に入れるために、資産運用しています。
がんばれ、わたし。
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